
前菜として、その他のソーセージと一緒に出される馬肉ソーセージКазы カズィ。
ナリンやプロフと一緒に出てくることも。

前菜として、その他のソーセージと一緒に出される馬肉ソーセージКазы カズィ。
ナリンやプロフと一緒に出てくることも。
Seminar tour to Samarkand and Bukhara

18日から20日まで、サマルカンド・ブハラのセミナーツアーに行ってきました。
セミナー開催地や途中の街では、いつものごとくウズベク流にアポなしで各大学に注釈書を配りに行き、押し入り方にも慣れてきたせいか、ある大学では本の押し売りに間違えられました。
サマルカンドのセミナーは、サマルカンドで一番高いホテルのホールで開催されました。そんな(金をかける)必要はないだろうと言ったところ、他の地方裁判所のセミナーに負けたくないという思いがサマルカンド州裁判所にあったらしく、同道のウズベク人は「サマルカンドの人らしい」と話していました。



ブハラのセミナーはホキミャット建物(州庁)で行われました。セミナー前日の夜にブハラに到着し、関係者とセミナー会場を確認に行くと利用できないとのことで会場を探し直す等々、ウズベクの人のアバウトさが目立ったセミナーでしたが、70名前後と小さく、タシュケントで会ったことのある弁護士さんや銀行の方の参加もあったせいか、随分、アットホームな雰囲気のセミナーでした。


現在、スムが不足しています。小麦の種付けで支払いが増えるとかで、毎年この時期はスムが不足するとのことです。
出張には経費全てをスムに両替して持って行きますが、200スム(約20円)紙幣に両替された日には大変なことになりました。もっとも、最高額紙幣も1000スム(約100円)なので、いずれにしろ、少なくない量になります。写真は、600米ドル分の500スム紙幣です。

ウズベキスタンの通貨は「スム」で(未だに「ルーブル」と言う人もいますが)、紙幣と貨幣がありますが、貨幣はあまり使われていません。紙幣は、1000スム、500スム、200スム、100スム、50スムがあります。25スム、10スム、3スム、1スムの紙幣までもあるようですが、25スム紙幣は一度だけ見たことがありますが、10スム紙幣以下は見たことはありません。
1000スムが不足している今時期、1万円や100ドルを両替すると金持ちになった気分になります。もっとも、1万円や100ドルといえば、公務員の月給が50ドルのウズベキスタンでは、まさに大金です(もちろん、50ドルでは家族を養っていけません。タシュケントでは、一家族が一月暮らすには400ドル程度は必要だと言われています。)。



「ホレズム料理!」といい続けた結果(の一部)は以下のとおりです。ホレズムは米どころなので、米料理ばかりかと思っていましたが、ホレズム固有の料理となると、小麦の料理(パスタ系)が多いようです。

「Йимирта (юмурта) барак (Yumurta barak) イュムルタ・バラク」、またの名を、「Тухум барак(Tuhum barak)トゥフム・バラク」。
バラクとはペリメニのことで、イュムルタとはホレズム語で玉子を、トゥフムとはウズベク語で玉子を意味するそうです。言うなれば「玉子ペリメニ」で、食べてみるとオムレツ入りペリメニといったところです。
ヌクス(カラカルパキスタン自治共和国)では、Маяк бурек (Mayak burek) マヤク・ブレクとも言うそうで(マヤクとはカラカルパク語で玉子の意味か)、また、トルクメ料理でも似たようなものがあるとか。Катыкカティックというキースライ・マラコー(羊の酸乳)をかけて食べました。

Котир барак (Qotir barakt)
コティル・バラク。
挽肉入りのバラクです。
やはり、カティックも一緒に出てきました。

Шут оши (Shut oshi)
シュット・オシュ。
これは、ウルゲンチタイプの麺だそうです。

Ун оши (Un oshi)
ウン・オシュ。
これも麺料理。
ウンとはウズベク語で小麦の意味です。
Манпал (Manpal) マンパル。
ホレズム固有の料理ではありませんが。
マンパルとマスタバには、ヨーグルトやキースライ・マラコーを入れて食べてもいいようです。ラグマン等々とあまり変わらないのではないかと思っていましたが(http://kie.blogsome.com/2006/11/02/4-from-1/)、ラグマンにヨーグルトを入れることはないので、やはり少しは異なるようです。


ホレズムのノン Чурек (Churek)) チュレック。聞くところによると、バザールでは一般家庭向けのサイズを売っているが、もっと大きいものもあるそうです。
見た目はコーカンドのパティールに似ていますが、パティールは表面がカリッとしているのに対し、ホレズムのチュレックは、どれも表面も中もソフトなパンでした。

ホレズム地方は、夏の暑さも冬の寒さも厳しい地方です。
一番暑い時期である7月は50度の日々で、ウズベクの人にはこの時期にホレズムに行くなんてと言われましたが、私が訪れた時は、40度ちょっとと涼しかった(?)です。

タシュケントで日傘を差していると「傘なんかさしているよ」とジロジロ見られるのですが、ホレズムでは日傘は必需品のようです。
ただ、こちらではカラフルな日傘が多く、黒い日傘が珍しいのか観光客らしからぬ外国人が珍しいのか、道端で見つめられることも多々ありました。
写真はウルゲンチ国立大学の敷地内で。

冬は、マイナス30度までになり、昔は、冬季はユルタで生活をしていたそうです。

厳冬には毛皮の帽子は不可欠なのはよく理解できるのですが、50度の夏には買う気にはなれません。
今週は、ホレズム地方セミナーをウルゲンチで開催しました。
車で行くとタシュケントから15時間程度かかるので(992キロメートル)、ウズベキスタン航空に60冊以上の注釈書を持ち込んで空路で行ってきました。
世界遺産もあるヒヴァへはウルゲンチ空港が使われるので(車で30分程)、観光シーズンの今、飛行機は日本人観光客で満員かと思っていましたが、水曜日だったためか日本人観光客はおらず、ウルゲンチ空港の職員は、「日本人、ヒゲをはやしたウズベク人」という連絡だけで、我々を見つけました。
セミナーは、80人程度の小規模なものだったので、ホレズム地方裁判所内で行われました。ホレズム地方は、夏、日中50度にもなる暑い地域ですが、そんなに冷房が普及しているわけではありません。裁判所では、セミナーのために急遽冷房を導入したそうです。



外国生活では、当初、失笑(激怒)していたことも、そのうち、諦めとともに受け入れなんとも感じなくなりますが、それでも、忘れられないことがいくつかあります。
まだタシュケントに住み始めたばかりで、自分の家の場所を上手く説明できなかった頃、タクシー(白タク)を拾って家に帰ろうとした際(白タク:http://kie.blogsome.com/2006/09/28/taxi/)、
私「**近くのバス停まで。」
運「**近くのバス停!?じゃ、バスで行けば。」
そして、車は去っていきました。
コカンドの街を出たすぐのところに、パティールというナンが売られている場所がありました。車が近くに停まると、パティール売りの女性が一斉に身を乗り出して、アピールします。ツバメの親が巣に戻った瞬間、一斉に口を開けて鳴き出すヒナのようでした。
Патир (Patir-non) パティールとは、大きくて薄いノンをさすようです。
どれが美味しいのかわからなかったので、よくここでパティールを買うという同道の方が大量に買ったものと同じものを買いました。とても大きいノンなので私には1枚でも多いぐらいでしたが、ノンは奇数枚を買ってはいけないというので、2枚買いました。ノンの中でも比較的長くもつそうで、通常に保管して2週間は大丈夫だそうです。1枚、700スムでした(約70円)。
注)確かに、湿度が低いので、一週間後でもカビは生えていませんでしたが、乾燥しているが故に、ノンはカチカチに固くなっていました。
サマルカンドのノンが、ほんのり甘くてぎっしり詰まっていて、ちょっとモチモチしているのに対し、ここのパティールは、塩味でサクサクっとした軽いものでした。http://kie.blogsome.com/2007/02/11/non-from-samarqand/
ノンにはいろいろな種類があり、また、地方によっても異なるようです。単なる(?)ノンをЕпган-нон (Yopkan-non)といい、Лочира (Lochira) はクリスピー状のもの、Катлама (Катляма, Qatlama, Gatlama) は生地が幾層にも重なったノン、Жиззали-нон (Jizzali-non) は油たっぷりのもの、Гўштли-нон (Gushtli-non) は挽肉入り、Пиёзли-нон (Piyozli-non)は玉ねぎのみじん切り入り、Зогара-нон (Zogara-non)はカボチャ入り、その他に、Ширмой-нон (Shirmoy-non), Оби-нон (Obi-non)、Кулча-нон (Kulcha-non)、Козон патир (Kozon patir)、Кашкар патир (Kashkar patir)、Сутли-нон (Sutli-non)、Жириш-нон (Jirish-non)、Гижда-нон(Pijda-non)、Кук патир (Kuk patir)、Патрак-нон (Patrak non)等々。牛乳やイーストを使ったり、肉や野菜を入れたり、いろいろあるようですが、食べてみないとよくわかりません。
陶器の街リシュタン。
あまりにのどかな田舎で、言われなければ、ぼーっと風景を眺めて過ぎてしまっていました。
ここのYouth Centreで日本語が教えられていることも有名なようです。

コカンドは、宗教の中心地として栄えた場所で、当時は、ブハラよりも宗教建物が多かったと聞きました。現在は、コカンド・ハーン国の最後のハーンの宮殿といった建築物がいくつか残っているそうです。
本来の名は、「ホカンド」といい、「ホ」とは「風」を意味するそうです。山に囲まれたフェルガナ盆地で、山の切れ目があることから、風の通り道となっていて、風が強いそうです。
残念ながら、今回は建物の中にばかりいて街をのんびり観る時間はありませんでしたが、街が緑に覆われていることはよくわかり、「緑の街」と呼ばれていることも納得しました。




Маргилонマルギランという地名は、マケドニア出身のアレキサンダー大王と関係しているそうです。同道のウズベク人曰く、マケドニアが訛ってマルギランになった、なぜなら、大王がこの地の女性と結婚したからだ、と。
一方、地元の人がアレキサンダー大王に出した料理「Мургинонムルギノン」に由来するとの説も。
シルクで有名とのこと。
ナマンガンはフェルガナ地方で一番人口の多い街です。


フェルガナ地方で唯一の法学部(生徒約1,200名)がナマンガン国立大学にあり、フェルガナ地方の法曹が同大学から輩出されています。
フェルガナ地方は盆地であり、同地方に入るには、山を越えなければなりません。



山道は、劣悪ではないですが良好とはいえないため、バスやミニバスでの通行は許されていません。それらは検問で追い返されるそうです。また、道路に磁気が仕込んであるとかで、低スピードでしか走れないようになっているところもありました。冬季は、雪崩もあることから、道は閉鎖されるそうです。海抜2300弱のKamchikを超えていきます。
フェルガナ地方に行ってきました。主な目的は、フェルガナ市で倒産法に関するセミナーを開催するためですが、セミナー前日の朝、ランドクルーザーに注釈書を何十冊も積んでタシュケントを出発し、各地の法律・経済系の教育機関等に注釈書を配ってきました。

フェルガナ地方も、ウズベキスタンの他の地方とさして変わらず、のんびりとした所でしたが、やはり、民族問題、宗教問題、政治問題を多く抱え安定しているとはいえない地域であるため、同地方へ入る際には、他の地方の場合より厳しい検問がありました。
プロジェクトでは、業務上必要最小限度での渡航が許されています。

フェルガナ地方といえば、「赤米プロフ」。
http://img20.imageshack.us/img20/3130/ferganaplovcg0.jpg
http://kie.blogsome.com/2006/03/12/plove-center-of-central-asian/