something-愛すべきもの-любимоеDecember 30, 2006 25:00

 

部屋の奥に高くに積まれていたものは、お客さん用の布団で、柄のあるものが掛布団、真っ赤なものが敷布団とのことです。色といい重ね方といい装飾品のように美しく、写真を撮ってよいか聞いたら、ウズベク人の方々は笑っていました。

holidays-お祝い-праздники, sweets-至福-сладости 25:00

本日から、Курбан-Хаитクルバン・ハイートというお祭が始まりました。犠牲祭と言われ、羊や牛を捧げるイスラム教のお祭りとのことです。私は、知り合いに誘われ、彼女の知り合いの新婚のお宅にお邪魔しました。家にはゲスト・ルームが用意されており、入り口で、まず、お嫁さんが頭からベールを被ってお辞儀をして歓迎してくれます。ゲスト・ルームでは、食事やお菓子を食べながらお話をしたり結婚式の写真を見たりして時間を過ごしますが、お客さんは、入れ替わり立ち代りやってきて、30分程度で帰っていきます。この際、お客さんとなれるのは女性だけで、ゲスト・ルームには女性しか入れません。旦那さんは家の門で、お客さんを迎えていました。旦那さんの男友達については、その奥さんがゲスト・ルームでくつろぎ、その間、その方は外で待っているそうです。ハイートをこのように祝うのは、新婚夫婦のある家族で、今年はすぐ翌日が大晦日(正月のお祝い)ですが、通常だと3日間続くようです。

 

 

左の写真は、ハイートのお菓子「Бугирсоки ブギルサキ」です。食べ物も含めて全てが興味深くいろいろ聞いていたら、旦那さんのお母さんが帰りにブギルサキ等をお土産として包んでくれました。右の写真は、お客さんの一人で彼女も新婚とのことです。頭には、花嫁ドッペをのせていました。私は旦那さんの知り合いでもお嫁さんの知り合いでもないのですが、旦那さん曰く、日本に滞在した際に日本の家庭に招かれ日本のことをよく知ることができたので、日本人にもウズベクの家庭や文化を見てもらいウズベキスタンのことをより深く理解してもらいたいとのことで、私のようなものまでも温かく歓迎してもらえました。

holidays-お祝い-праздники 25:00

ウズベキスタンには移動祝日が2日あり、一つがラマダン明けのРамазан-Хаит ラマザン・ハイートで、もう一つがこのクルバン・ハイートです。ウズベキスタンの憲法第61条は政教分離を定めていますが、1991年の大統領令には、このイスラム教の二大祭の初日を公的な休日とする旨が定められています。具体的にどの日が公的な休日となるかについては、毎年、大統領決定(Постановление Президента)が出されます。今年のラマザン・ハイートについては、その初日の10月24日が休日となりましたが(ラマダン最終日の23日との予想を裏切り)、大統領決定が出されたのは10月18日でした。本日(12月30日)のクルバン・ハイートの休日について大統領決定が出されたのは、12月22日でした。何故、一年の始めか、もしくは、もう少し前に出せないのかと思っています。

ラマザン・ハイート:http://kie.blogsome.com/2006/10/23/ramadan-hait/

holidays-お祝い-праздники 25:00

本日からイスラムのお祭が始まりましたが、サンタの格好をした人を度々通りで見かけました。街中でもサンタ関連のものが目に付きます。こちらでは、サンタとその孫娘(娘?)がセットになっており、クリスマスというより新年のシンボルのようです。絵と一緒に書かれるのは、「С Новым Годом! 新年おめでとう」であり、「С Рождеством! メリークリスマス」ではありません。大きい写真は、近所の食堂の窓で、小さい写真は、板チョコです。

一時期、アメリカとの関係が悪化し派手なクリスマスの装飾は控えられていたそうですが、ロシアとの関係が改善してきて、また、ツリーなりが街で見られるようになったそうです。

foods-情熱-блюда 25:00


 

バザールの韓国サラダ売場も、季節により少し変わります。秋に出ていたPatissionはなく、代わりに豆のサラダがでていました。

どのサラダも味はウズベク風キムチです。

 

 

 

ピクルス売場では、青いトマトのピクルスが売られていました。1キロで1,000スム(約100円)。キュウリのピクルスは、よく脂っこいプロフと一緒にそのまま食べますが、トマトのピクルスは、そのまま食べるには塩が強いです。

discovery-現地事情 -знакомствоDecember 27, 2006 25:00

 

女性の起業を啓蒙するセミナーを見学するために、タシュケント州のPiskentピスケントという街に行ってきました。

結構、大きい街とのことです。

村ではありません。

タシュケントからは車で45分程度でした。

 

 

 

 

タシュケント市内から20分ほど郊外に走るとこんな感じです。

 

奥に見える水は、「Ташмореタシュケント海」と言うそうで、灌漑用水地です。

discovery-現地事情 -знакомство 25:00

この10月にカラーの英字新聞‘Uzbekistan Today’が発刊されました。発刊元は国家機関ではなく一応会社のようですが、ウズベキスタン礼賛記事ばかりであることから推測すると、あの人か国が関与しているようにも思います。一番面白かった記事が、128日付版の「Uzbek poll says a majority of citizens happy with life」という社会調査の記事です(調査対象、調査規模等不明)。曰く、94.3%の国民(回答者)が、民族と国民の平和、安定と調和が重要であり、これらが独立により獲得されたと考えているそうです。また、92.8%の国民(回答者)が、財政や社会的地位、信条、民族に関係なく、法の前に平等であり、国民の権利と自由が完全に守られていると確信しているそうです。更に、89.9%の国民(回答者)が、「現在の生活に満足(Happy)していますか」という質問にイエスと答えたそうです。こんなhappy lifeをおくれる国に、外国からの援助なんて不要のような。

holidays-お祝い-праздникиDecember 24, 2006 25:00

クリスマスの季節がやってきました。外国人の出入りするようなホテルだけではなく、近所の食堂にも大きなクリスマスツリーが飾られ、スーパーマーケットの入り口では、等身大のサンタのおじさんが150,000スム(約15,000円)で売られていました。イスラムの国だけど、ロシア人(ロシア正教)も少なくないからかと当初は思ったのですが、ウズベク人しか働いていない司法省の入り口にもクリスマスツリーが飾られているそうです。

 

 

他所からみると仏教国と思われている日本も、12月に入ると街中がクリスマスムードに包まれるので、日本もここもあまり変わらないようです。ちなみに、ロシア正教では、クリスマスは1月7日です。

nothing-大切なもの-ничего 25:00

滅多にない快晴の日と12月中旬の濃霧の日です。私が大阪から戻ってきた後も濃霧の日が続き、毎日のように飛行機の便が乱れていました。

寒さが少しやわらぎ、道の雪もほとんど解けました。11月、12月に雪が降りましたが、タシュケントでこんなに寒い冬は15年振りだそうです。

foods-情熱-блюда, soup-まずスープ-супDecember 21, 2006 25:00

時々、食堂の看板に「National and European foods」と書かれているのを見かけます。ここでの「European foods」とは、イタリア料理といったいわゆるヨーロッパの料理ではなく、ロシア料理を意味します。少なくとも、近所にある食堂は全部そうです。

よく行く食堂「Samo」もその一つです。この食堂の特徴(私見)は、その他の並びの食堂がA5サイズ紙の裏表のメニューしか用意していないのに対し、メニューがA4サイズ本のようで、載っている料理が多いことです。ただし、載っている料理は多いのですが、注文できる料理は、その他とあまり変わりません。

この日は、ウズベク料理の代表スープであるシュルパが食べたかったのですが、ありませんでした。代わりに、ロシア料理のスープ、Солянкаサリャンカを注文しました。サリャンカは、トマトベースで、ベーコンや野菜の具沢山スープで、ミネストローネのようでした(1,000スム、小600スム)。

 

 

 

discovery-現地事情 -знакомство, task-自分/法律-делаDecember 18, 2006 25:00

もう2ヶ月以上も前のことですが、非常に小さいことながら、これぞウズベキスタンと思わせる出来事がありました。食事をする際にも仕事をする際にも座っていた家の椅子が、メキメキといったかと思ったら、バキバキと音を立てて壊れ、座っていた私は椅子ごと後ろにひっくりかえったのです。我が家は、パッとだけ見るととても立派な家のように思われるのですが、実際、窓やドアはしっかり閉まらず、家具は、私(一応平均体重)が座り続けただけで壊れる始末です。見た目はいいけど、中はスカスカか、と思った時、ウズベキスタンという国自体が頭に浮かびました。

写真:大家が家に来るというので、組み直して壁に立て掛けてみました。

ウズベキスタンの法制度についても同様の危惧があります。ウズベキスタンにおける立法事実を検討することなくロシアの法律を写す結果、ウズベキスタンでは運用されえない内容の法律が春のタケノコのごとく成立しているように感じます。もしかしたら、このまま、この法制度に座り続けていると、いつか、バキバキと音を立てて壊れていってしまうのではないでしょうか。

foods-情熱-блюда, soup-まずスープ-суп 25:00

シュルパ(写真左)は、羊肉で出汁をとり、ジャガイモ、ニンジンやピーマンを加えて作る代表的なウズベク・スープです。モホラ(写真右)との違いがわかるでしょうか。それはひよこ豆の有無だそうです(食べていたときは全く気がつきませんでした)。つまり、ひよこ豆入りシュルパがモホラとなります。

Шурпа Shurpa (left) and Мохора Mokhora, which is Shurpa with peas.

foods-情熱-блюда, transport-交通-транспорт 25:00

今年、ウズベキスタン国営航空で日本とウズベキスタンを往復すること4回。ウズ・エアについては、機内食が気に入っています。何よりも、機内食であることをわきまえて、質量供に、無理をしていない点がいいです(写真は、日本発便のエコノミークラスの機内食です。日本発便には魚メニューもあります。 )

何も、空の上で、メイン料理や副菜の他に、ソバや寿司(らしきもの)を食べる必要はありません。飛行機を降りてから店に行って本物を食べればいいと思っています。また、夕食後は、座って寝ているだけなので、朝食は軽くて十分です。食事が多く出てきたら残せばいいのですが、機内食代も航空運賃に含まれているかと思うと、食べなければ損と思って無理に食べてしまいます。

 

左の写真は、タシュケント発のエコノミークラスの機内食です。副菜として、ウズベク料理の味がする冷製ライスサラダが付けられます(写真上)。

task-自分/法律-делаDecember 14, 2006 25:00

私が参加しているプロジェクトは、ウズベキスタンの倒産法の注釈書の作成を支援しています。支援の内容の一つは印刷費用を出すことですが、それだけではありません。注釈書の内容をよりよくするためにアドバイスをし、さらに、注釈書が世に出た後には、注釈書や倒産法の理解を広めることも支援の内容としています。少なくとも、日本側関係者はそのように考えています。このプロジェクトの実施にあたっては、ウズベキスタンの専門家が執筆した注釈書草案を検討するために、日本側でも日本倒産法の専門家を集めた支援委員会が組織されました。従って、おそらく、このプロジェクトは、日本側専門家が注釈書草案を検討し、ウズベキスタン側専門家と協議を重ねながら、比較法的観点から補充・改正すべき点を指摘し、ウズベキスタン側専門家が、それら指摘や協議からヒントを得て注釈書の内容を推敲していくということを想定していたようです。今となってはそんな理想もあったのかもしれないと思うだけで、実際の作業内容はこの想定とは全く異なっていました。ただ、ウズベキスタン側専門家と日本側専門家が協議を重ねていることは当初の予定どおりで、この11月に、大阪の法務省法務総合研究所国際協力部において、最後の協議が行われました。ウズベキスタンから来阪したのは、タシュケント州経済裁判所の裁判官と弁護士の2名、と私です。来年1月にはロシア語の最終稿が確定し、春には、注釈書のロシア語版が発刊される予定ですが、ここはウズベキスタンであり、全ての予定は未定です。

スクリーンには草案のロシア語版、日本語版、そして、法令などの関連資料が映し出されています。

協議をしながら、ウズベキスタン側がロシア語版草案の改訂を行い、その改訂を翻訳して日本語版草案に反映させ、改訂をその場で検討できるようにしていました。

関連:Category: task-自分-дала

 

 

 

discovery-現地事情 -знакомствоDecember 13, 2006 25:00

お昼のタシュケントの様子です。この日は曇りで、最高気温1度、最低気温マイナス8度でした。道は凍結しており、パソコンを持っての通勤は緊張します(自身が転倒することも心配ですが、チェーンをつけないで走っている車がスリップして向かってこないかも心配です。)。家の中は、熱水(蒸気?)が通る管により暖められるはずですが、窓からの隙間風のせいか中々暖まりません。特に、窓が大きい台所・居間が寒く、食事をする際には、コートを着て、イギリス北部シェフィールドで愛用していたゴム製湯たんぽを抱えています。窓のない浴室が寒くはない場所です。とりあえず、窓枠の隙間に新聞をつめ、その上にタオルを置いてみました。気持ち、暖かくなったような気がします。

nothing-大切なもの-ничегоDecember 11, 2006 25:00

今回のトラブルの中、助かったと思ったことがあります。

その1:イスラムの国では、重い荷物は男性が持つものとされていること。

タシュケント空港に着いてしまえば車で自宅に帰るだけなので、手荷物が沢山あっても問題ない、と、何度も日本とウズベキスタンを行き来して認識したので、今回、関西空港内で雑誌やお菓子を大量に買ってしまっていました。サマルカンドで、これらを持って、何度も階段を登り降りするのは大変でしたが、必ず、近くの男性が助けてくれました。周囲に他の乗客がおらず、一人だけである窓口を通過した時は、係官が何かを叫んだかと思ったら、随分先を歩いていた男性の乗客が戻って来て荷物を運んでくれました。イスラムでは女は弱い者、守られるべき者という考えがあり、それ故、女性から見ると制約と思われるような決まりがあるのですが、今回は本当に助かりました。このような行動が、男女という基準ではなく、その場その場で助けを必要とする人(男女問わず)と助けを出すことができる人(男女問わず)という基準によって出てくれば、と思いました。

その2:スーツケースに入らなかった服を重ね着していたこと。

サマルカンド空港の待合室は大変寒かったのですが、今回、下着2枚、シャツ、セーター、スーツの上下、コートを着込んでいたので、なんとかしのげました。タシュケントの夕方の気温はマナス2度だったので、サマルカンドの夜もマイナスではあったと思います。翌日のタシュケントは、昼間でもマイナス3度でした。

transport-交通-транспортDecember 8, 2006 25:00

12月8日(金)は、憲法記念日で祝日でした。この日は、日本での5週間の業務を終え、夜7時半頃(日本時間の夜11時半頃)には、タシュケントの自宅のバスタブで呆けている予定でしたが、実際には、その時間には、ウズベキスタン第2の都市サマルカンドにいました。この日のタシュケントは、霧のため10メートル先も見えないような悪天候で、タシュケント空港が閉鎖され、私が大阪から乗ったウズベキスタン航空だけではなく、ソウルやモスクワから来た飛行機もサマルカンドに着陸し待機することになりました。サマルカンドに着いてしばらくは飛行機の中にいましたが、9時頃に待合ロビーに移され(下の写真)、何の情報もなく、何らかのアナウンスをただ待っていました。タシュケントにいるJICAの方々に連絡を入れて、朝まで霧が晴れる様子はないことや、アシアナ航空はすでに翌朝にタシュケントに来るとのアナウンスをしたこと等の情報を得ましたが、待合室では何のアナウンスもなく、12時頃に空港内レストランで夕食が出された際に(下の写真)、ホテルに移動し翌朝にタシュケントに向かうことがわかりました。

午前1時過ぎ(日本時間の午前5時過ぎ)に、入国審査もせずに、手荷物だけを持って手配されたバスに乗り込み、ホテル「Afrosiyob Palace」に向かいました。ソウルやモスクワから来た乗客やイスタンブールに行くはずだった乗客もこのホテルに連れてこられたため、ホテル受付も乗客も混乱していました。翌朝になっても何の情報もなく混乱は続きましたが、10時頃にバスでサマルカンド空港に向かうことができました。空港外の食堂で朝食が振る舞われた後、周りのウズベクの人にくっついて行動し、午後1時頃、タシュケント空港に到着しました。空港内は、大阪、ソウル、モスクワからの乗客でごった返し、また、空港職員も混乱しており、空港を出た時は午後2時半を過ぎていました。ちなみに、今回、ウズベキスタン航空又はアシアナ航空で日本から来た乗客に、ウズベキスタンへのツアー客はおらず、乗客は、JICA関係者(多数)、商社の方やウズベキスタンの農業高校と姉妹校提携に来ていた日本の高校の方等、観光目的以外の目的で来た方でした。

 

 

9日の朝、ホテルの部屋から見えたグル・アミール廟。夜はライト・アップされます。

 

 

 

 

 

 

 

サマルカンドからタシュケントまでの飛行時間は35分でした。サマルカンドからタシュケントまで陸路で帰れないのかとも思いましたが、真夜中に雪の積もる山を超えるのも得策ではなかったようです。

 

 

 

 

今回のトラブルについてですが、濃霧ゆえの空港閉鎖には問題はなかったと思います。逆に、このような場合には、無理に着陸してほしくはありません。2ヶ月程前にタシュケント空港で乗員が全員死亡する飛行機事故がありましたが、これも悪天候時の着陸失敗だったと記憶しています。では、航空会社ないし空港の対応に問題はなかったのか。この点、情報がない、早くホテルに誘導するといった他にもっと適切な方法があったのではないか等不満は聞かれましたが、不誠実な対応はなかったのではないかと思います。不誠実な対応とは、適切な措置を知っているのに、そのような措置がとれるのに、しないということです。要は、出来ることはやっていた、出来ないことを要求しても仕方ない、ということで、この1年半、ウズベキスタンの法整備支援プロジェクトに従事してきて悟ったことです。もちろん、出来ることを増やしてほしいとは切に願っています。

nothing-大切なもの-ничегоDecember 6, 2006 25:00

大阪といえば、阪神タイガース、うどんすき(「美々卯」)、たこ焼き等々。

2004年12月、生まれて初めて大阪に降り、その夜、法総研国際協力部の方に「うどんすき」なるものを食べに連れて行ってもらったところ、食べ終わる頃には、ウズベキスタンの法整備プロジェクトに参加することになっていました。

Hanshin Tigers, a baseball team, whose team color is Black and Yellow,

Udon-suki, udon hotpot

Takoyaki, octopus ball

ウズベキスタンに戻るまであと2日。

 

 

foods-情熱-блюда 25:00

左:ハービスエントの「彩箸」

上:大阪福島の「Robinson」