当初の予定では、シェレメチェヴォ空港11時5分発のアエロフロート便に乗り、昼にエレヴァンに到着して、プラプラと街の中心地に向かうはずが、目が覚めたのが9時45分でした。空港まで1時間以上。もう間に合いません。とりあえず、エレヴァン行きの便数が多いドモジェドヴォ空港に向かいました。幸い、空港に到着してすぐ搭乗できるアルマヴィア航空便に空席があり、16時頃、エレヴァンに到着しました。すでに日が暮れかかっており、マルシュルート乗り場を見つけて(ただの駐車場ですが)、慌てて「市の中心に行くか」とだけ確かめてマルシュルートに飛び乗りました。
乗り降りする周りの乗客に「市の中心」はまだかと何度確かめても、皆が、もう「市の中心」だと答えます。「市の中心」に行けば徒歩で回りきれる規模の街だと見縊っていました。親切な看護女学生が、マルシュルートを乗り換える必要があるからと、一緒に降りて、私が乗るべきマルシュルートを見つけ、運転手に私が降りるべき場所を伝えてくれました。
飛行機の中で横のおじさんに教わったアルメニア語のありがとう「シュノラカルチュン」を、空港を出てからホテルに着くまでの間に何回、いや何十回、口にしたでしょうか。街の中心広場に着いた時は、すっかり夜になっていました。


ラテン文字で書かれていて助かります。
ちなみに、後ろのビルの上に大きい看板を出しているのはSumsongです。
街にも直販店がありました。おもわず一枚パチリ(右の写真)。
サンリオ・ショップまでありました。
正規のものかは不明です。
覗いただけで店には入りませんでした。

週末の青空市ないしガラクタ市か。
こういった市でいつも思うことは、「本当に買う人がいるのか!?」です。特に、埃をかぶった部品の数々。モスクワで、電気系統に問題が起きて修理屋さんを呼んだら、ソ連時代の物が使われていた部分があり、危ないから捨てろ、と言われました。
公園では絵も売られていました(下の写真)。


街の西の高台にあるパラジャーノフ博物館です。
住所を頼りに探しましたが、中心を外れると、通りの名前がアルメニア語表記のみになるので、困ります。
一般的に、「ソ連」=「暗い」というイメージが強いように感じますが、絵画といい映画といい、意外に思うことが多いです。
下の写真は、高台からの眺めです。

エレヴァンの目抜き通りマシュトツ大通りを南東に進むと、その突き当りの小高い丘に古文書保管所(マテナダラン)があります。
体調不良の身にはこの道がとても長く感じました。
コミタス展が行われており、外にもコミタスの写真パネルが並べられていました。コミタスは、神父であり、作曲家であり、歌い手でもあり、アルメニア音楽の父と呼ばれています。ただ、単なる音楽家ではなく、その人生には20世紀初頭のアルメニアの歴史が濃く反映され、それ故映画「コミタス」ができたと思います。
ちなみに、コミタスって、下の名前はなんだろうと思っていたら、コミタスとは教会から与えられた名前で、本名は、ソゴモン・ゲヴォルコヴィッチ・ソゴモニャンでした(名・父称・氏)。


美術館等の観光地で「USAID」の表示をよく見かけました。。写真は、ガルニ神殿のある公園で撮影したものです。
United States Agency for International Developmentというアメリカ政府の国際開発庁です。開発援助の仕事をするまでは全く知らない団体でしたが、世界銀行(WB, CIF)、欧州復興開発銀行(EBRD)、ドイツ政府の開発援助組織(GTZ)といった援助団体と同様、よく聞く団体です。ウズベキスタン政府とアメリカ政府の政治的関係のため、ウズベキスタンでのUSAIDの活動は非常に限られていましたが、他の中央アジア諸国では比較的活発に活動していました。ウズベキスタン人の友人もタシュケントのUSAIDで働いていましたが、ウズベキスタンでの活動縮小に伴い、キルギスに異動になりました。
援助の際にどこまでこのようなアピールをするのか。ウズベキスタンで注釈書作成中に、地元の銀行や大学の方々と話しをした際、「結局は現状を知らないガイコクジンが作った本でしょ」というような誤解を感じたこともあり、特に外国の書籍(思想)に敏感なウズベキスタンで手に取ってもらえないと困るので、注釈書表紙からは「外国」色を一切排除しました。結果、良かったとは思っていますが、エレヴァンでこれでもかというくらいUSAIDの看板を見せられて、確かに、アメリカの存在を感じました。もっとも、「USAID」の表示を意識する観光客は多くはないでしょうし、何の団体かは理解しないとは思いますが。